HOME相撲漫画@(岡本一平作)
 怪物と飯を食う話 上(1)
死んだ小説家の獨歩は天地に驚きたいと申しました。私のは少し違います。時々呆れるようなものにぶつからぬと生命が居眠りをして仕舞うのです。ふと相撲場へ行きました。出羽嶽という力士の馬鹿馬鹿しい大きさに少し呆れる事が出来ました。広い世界に同じ心持の人があるかも知れぬ。呆れを福分けする積りで五六日土俵上の怪物の動静を絵でお知らせしました。ところがここに怪物に紹介合わせようという人が出ました訊すと医学士で歌人のS氏の奥さんです。S氏ならばわたしの浅い知人でした。そして出羽はS氏の両親が養い子として愛し育てた関係の力士だそうです。呆れを深める為めわたしは一議に及ばず承知致しました。

 怪物と飯を食う話 上(2)
西の控え部屋へ行くと怪物は今土俵から上がったところです。奥さんがわたしを紹介しても怪物はお辞儀をしません。遥か上の方で難しい顔をしてるらしいのが仰向くとやっと覗われます。奥さんが怪物の大きなお腹の向かって言いました。「文治、お前失礼ではないかい。何とか御挨拶を申し上げな」とそこでやっと上の方で水底の破鐘のような声がしました。「新聞に絵を描いて呉れねえ方がええよ気になって力が出ねえ」成程彼は此の場所負けがこんで居ました。私は笑いました。奥さんはばつを悪くしてそれから諄々とお腹に向かい人気商売の力士は誰人にも愛想よくすべきものの由を言い聞かせました。奥さんは女として低い方ではありませなんだ。それで居て顔の向き合うところは丁度怪物のお腹です。お腹に向かって言い聞かした言葉がいつ怪物の頭に伝わるやら覚束ないとわたしは思いました。

 怪物と飯を食う話 上(3)
怪物を誘って自動車に乗りました。自動車の中の怪物は丁度弁当箱に沢庵漬を二つに曲げて入れた形でした。そしてわたしはその隙間のつめです。神田明神前で自動車の電燈が駄目に成りました。他の車を雇わせる為め運転手をはしらせた。降車で怪物は闇の中の自動車の周囲を玩具のように物珍しく撫で廻しました。進んで運転手台の機械に指を触れると「あち・・・」と驚きました。それからにやりと笑って「ここ熱いぞ。触って見ろ」と言いました。わたしはそれより怪物が寄りかかる為傾いでゴムのタイヤがどの位皺面作るかに興味を持ちました。で怪物は一人で繰り返し指を小さな熱所へ触れては熱がって居ます。然し大きな顔には愛物を弄る時のような魅せられた微笑みが上がって居ました。ふと一つの考案がわたしのあたまに閃きました。巨人は却って小という事に異常な愛着を持つものではないかと。
本郷の「豊国」へ着きました。怪物は早速座敷の敷居に足を投げ出し茫然と庭の青葉に映る電燈を眺め出しました。ここで二つの微笑すべき事象を見逃してはなりません。弓なりに曲がった障子と尻の下に印紙程に見ゆる座布団と。

 怪物と飯を食う話 下(1)
食うものや飲み物が来ました。怪物は小楊枝のように見える手の箸を器用に操り鍋の牛肉を煮にかかりりました。女中がサイダ―を抜き、コップへ置き注ぎにするのを見て怪物は急いで壜を奪い取り「そうやっちゃ失礼だぞ」と改めてわたしに空のコップを持たせ、それからサイダ―を注いで呉れました。怪物にこんなこまかい常識があるとは思い寄りませんでした。肉は煮えてきました。わたしは怪物がどのように大食するだろう、それを心待ちに注意を怠らず自分の箸を運びました。けれども怪物は汁の味を考えたり肉と葱との配合を程よく整えたり、可笑しな程人並みの事を致してます。わたしは耐え兼ねて「君少し食べて見せて呉れないか。その積りで来たのだから」なぞ誘いをかけました。怪物は少し面白くない顔をして「わし大食だとてこの間も九州からの帰りの汽車でバナナを二貫目食べたなぞと吹聴されたがそんなに食べられへんわ。東京へ着いた時まだ八百目も残ってた」と弁解しました。

 怪物と飯を食う話 下(2)
話を反らすように「その汽車の中で面白かったぞ、田舎の客人が酔ってのう。誂へたオムレツの中へ顔を突っ込んで寝てしまった」わたしは「ある親方が話したのだがね。君はそんなにうまくなくてもいい、兎に角普通に相撲の一手を覚え込んだら相手に立つ敵は無いといってたがどうだね。毎日あまり固くなり過ぎやしないか」
「わしは仕切ってる時にのう。周囲で見物のわあという声がするとどうしても立てんで。それに知ったひとの顔が桟敷に見えるともういかんね。駄目だ」怪物案外気が弱い。話の、間に同席の年配のある奥さんが怪物の帯に呆れて居ます。わたし「君は巨きな身体の為にふだんの暮らし方に不十自由な処は無いかね」怪物「無いよ」

 怪物と飯を食う話 下(3)
ここで又話しを反らすように「牛肉の三枚肉を味醂と醤油と生姜に漬けてそれから生紙の上で焼いて食うと美味しいぞ」怪物は彼の身体の異常なる大食の事に触れられる事は処女の恥じを覚えるらしいのですからなる丈人並みの言行を努めたがるのでしょう。然し肉は段々煮て行って鍋に山と積みそれからわたしに「さあ、飯、食べろ」と申しましたのは世に所謂問うに落ちず語るに落つの類ではないでしょうか。怪物は部屋で食べて来たといって四五杯でやめました。
帰りしなに玄関で怪物の草履を見て居る驚きの人々を認めました。

 怪物と飯を食う話 下(4)
店を出て怪物はしょんべんをしました。わたしも並んでしました。わたしの肩の辺りから迸り出る太い水流は砂利の山一つ彼方の大地へ落ちました。わたしのは山の中腹です。闇の横町で怪物は気付いたようにわたしの肩を叩き「これ遣るよ子供に持ってけ」と大きな掌から胡桃を一つ呉れました。胡桃がわたしの掌に移るとそれは林檎でした。相撲場でS氏の奥さんがお腹に向かって言った事が今彼の頭に利いたのでしょう。怪物が電車に乗るというから見て居ました。怪物は乗るや自分の定まった居所のようにさっさと車掌台の右へ立ちました。

 国技館寫意 初日
栃木山と大戸平ともつれていっしょに
四本柱東検査役中立の前へ落ちた。
行司は栃木へ団扇を挙げる。見物不承知。
みなみな手を長く出して「ャィ栃木が手をついたぞ〜」と
溜めにへ詰めかける。栃木あっけらかん。

 国技館寫意 二日目
源氏山曰く「これは眞田幸村の発明さ。
相手を張って張って張り抜き大砲にする気さ」
紅葉山曰く「節季前の障子じゃねえぞ。
そう無闇に張られて堪るか」

 国技館寫意 三日目
阿久津川が両国を負かして嬉しく花道を引上げて行く。
ひいき甲「俺を関取の先へ歩かせろ」
ひいき乙「うんにやあ、ならぬ俺が・・」

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